舟越屋漁港にて、お話を伺った
平成25年10月25日(金)の話し
昼ご飯を明石食堂で食べたあと、舟越屋(ふなくやー)に行く。
ここで写真を撮っていると、おいちゃんに話しかけられた。
あの入口の舟に、船越とあるがあれは間違い。舟越屋が、正しいと。
かつては石垣の街の人(つまり、四箇村:登野城村、石垣村、新川村、大川村 下記参照)の人がここまで漁をしに来て、舟越屋を作った、と。右の浜で漁ができない時は左の浜に舟を担いで行き、漁をした、と。動力船のない時代である。このおいちゃんはそのような時代を知っているのだ、と。
今は伊原間の中に舟越屋があるのだが、伊原間はいろいろと移り変わっているのだと。舟越屋は昔からここであると。
ためになる話を聞かせてもらった。
このように舟を担いで400mくらい歩いて別の浜へ舟を運んだという。
また、6月にハーリー(八重山の伝統行事で、舟を漕ぐ競争)があるが、それはここでも行われる。内地の人も北海道の人も大歓迎。
ハーリーのあと、みんなで鍋をつついて、宴会をするのだ、と。だれでも参加出来ると。いちゃれば兄弟 という精神であろう。
宴会、というのが楽しそうだなあ。
舟越屋漁港
石垣四箇
王府時代~現在の地域称地元では単にシカといい,四箇・四箇字ともいう石垣島南部に位置する登野城【とのしろ】・石垣2か村と1757年に登野城村から分村した大川村,石垣村から分村した新川村の4か村を指す
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